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2022.05.18 「不若人有其宝」とは紀元前5世紀前後の前漢時代の劉向 による『新序』に出てくる漢文の一つ。 高校の国語の古典の授業で使われることが多い不若人有其宝の書き下し文は?現代語訳した場合の意味は? ■原文 ■『新序』(しんじょ) 現行本は10巻で構成され、全部で181章からなる[3]。ある程度内容によって分類されている。最初の5巻は「雑事」と題がついている。6巻以降は「刺奢」「節士」「義勇」「善謀」「善謀下」となっている。多くは先秦の話であるが、最後の巻10は漢代の逸話を述べる。 不若人有其宝の書き下し文は?人ごとにその宝を有するに若かず?『新序』に出てくる「不若人有其宝」の書き下し文は「人ごとにその宝を有するに若かず」です。 「人」が「人ごと」つまり「人それぞれ」となるのは漢文の「人」は、もともと英語と違って単数形・複数形ということが明確ではないからです。 漢和辞典には「ひと‐ごとに」の読みが載っています。(漢辞海) ここでは、宝玉を献じた人、豎子、鄙人、子罕、一人ひとりに、それぞれの宝がある、という意味で「ひと‐ごとに」と読んでいます。 それから一つの漢字に現代日本語より多くの意味があります。 例えば「人」には、人間とか国民とか他人とかある人とかの意味があります。 場合によっては、優れた人と凡人という正反対の意味になることもあります。 ■書き下し分 不若人有其宝の現代語訳・意味は?不若人有其宝(人ごとにその宝を有するに若かず)の意味は一般論として「人ごとにそれぞれ自分が宝と思うものを持っていた方がいい」といった意味になります。 具体的にはこの「人」は子罕と献玉者の二人です。 子罕が献玉者に対して、「君も僕も、どちらも自分が宝と思うものを持っていた方がいいだろう」と言っていると解釈されています。 不若人有其宝(人ごとにその宝を有するに若かず)の現代語訳は、 宋の人で玉を得た者がいた。これを司城子罕に献上したが,子罕は受けとらない。玉を献上した者は言った「これを玉匠に見せたところ,玉匠は宝玉としました(鑑定した),そこで是非とも、之を差し上げるのです。」子罕は答えた「我は貪らないことを宝と考えている,君は宝玉を宝と考えている。もし私に玉を与えたら,二人とも皆、宝を失うことになる,それぞれの人が、その宝を所有するのに越したことはない。」そこで宋國の長者は言った「子罕には宝がないわけではない。宝とするものが異なるのだ。今、白金と摶黍(穀物団子)を子供に見せたなら,子供は必ず団子を取るだろう;和氏の璧と百金を田舎人に見せたなら,田舎人は必ず百金を取るだろう,和氏の璧と道德的至言を賢者に示したなら,賢者は必ず至言を取るだろう。(児童から賢人を比較して)其の知恵がいよいよ精妙さを増せば,其の取るものもいよいよ精妙となる;其の智慧がいよいよ粗雑さを増せば,其の取るものも、いよいよ粗雑になる。子罕の宝とするのは至言であるのだ。」 不若人有其宝の問題・テスト対策「不若人有其宝」でよくテストで出題されやすい問題としては、
1 玉を献じた者は、 子罕は、「私は貪らないということを玉とし、あなたは玉を宝としています。 若し私に玉を与えれば、皆が宝を喪うことになります。(つまり,あなたは宝である玉を失い、私は貪らないという信念(玉)を失うからです。) 人ごとに其の宝とするものが有るのであって、それ以上には及びません(それに越したことはありません)」と言った。 2 漢文の「不若人有其宝」の書き下し文と現代語訳を早急にお願いします!! カテゴリQ&Aランキングあなたも答えてみませんか総合Q&Aランキング
Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。 若与我者の現代語訳は?若与我者、皆喪宝也。 (訳: もし私に玉を与えれば、皆が宝を喪うことになります。)
不若の漢文読みは?ただし漢文訓読で「不若」を「しかず」と読むのは、上述のように否定文では意味が変わってくるからです。 「ごとからず」と読めないからではありません。 「莫若」のほうは「ごときはなし」と読もうと思えば読めるのですから。
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